友人に貸して戻ってこなかった本との再会
こんな経験ありますか?
この本はそんな本。
自分のブログを振り返ってみると
この本についてに書いているのは2014年6月。
その後、ものすごくおすすめだからと友人(誰だか思い出せない)に貸して
そのままになってしまっていたのがこの作品。
『オリガ・モリソヴナの反語法』
確かに覚えにくいタイトルなんだけど大好きな本。
先日サンディエゴのブックオフに立ち寄った時に見つけて
思わず買い戻しました。結果、大正解。
本当に素晴らしい作品。もう離さないわ!
表紙も無茶苦茶かわいい。
チェコから戻った女の子が感じた日本の違和感
今回読んで印象に残った点の一つはこれ。
ページでいうと125ページから数ページにわたり続くくだり。
以下その一部引用。
子どもひとりひとりの心のうち、理解の程度、ものごとの受け止め方は違うはずなのに、とにかく外側からはなるべく同じに整える。差は極力目立たないようにしてあげる。外見上は、皆同じ。それが平等であり、公平である。皆と同じことから外れるのは、恥であり、恐怖である。そんなことが決して表に現れないように保障してあげることが、学校側の思いやりであると考えているらしいことであった。
こういう偶然が続くときこそ深い幸福感を感じる
解説を読んで、さらに腰を抜かした。
ドゥマゴ文化賞の選定委員だった池澤夏樹さんとの対談だった。
(『オリガ・モリソヴナ〜』は第13回ドゥマゴ文化賞 受賞作)
池澤さんって知らなかったのだけど、去年Y姉さんにお願いして船便で送ってもらった
『イラクの小さな橋を渡って』を書いてた人。
こんな偶然ってあるんだ。わたしはやっぱりこっちのベクトルの本の人なのね、と納得した。
こういう偶然が続くときって本当に幸せ。
自分がいいアンテナ張れているとき。
そして同じ波長のものが引っかかってくるとき。
週末行ったピアノコンサートの余韻に今も浸ってる。
今は本当にいい時代。コンサートで聴いた曲を
家に帰ってからネットで調べたり何度も聞いたりできる。
(もうApple Musicなしでは暮らせないかも!?)
才能は神から与えられたもの、みんなが愛し応援してくれる
解説でのくだりも頷けることが多かった。
今では主流となっている資本主義だけど、そこにも欠点があるという点。
米原万里さんだから指摘できる。
例えば資本主義の場合、芸術が商品になり
ものすごい足の引っ張り合いや嫉妬で心がずたずたになってしまうこと。
亡命16年目になったころ、才能があるというだけで愛し応援してくれる環境が恋しくて
殺されてもいいからロシアに帰りたいとコンサートの後にウォッカをがぶ飲みしながら
泣いていたという世界最高のチェロ奏者ロストロボーヴィッチ。
こういうことを指摘してくれる米原万里さんがもうこの世にいないこと
本当に寂しく思う。資本主義の中枢アメリカに住んでいるわたしでさえそう思ってしまう。