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自分の能力や可能性への不信感は、死ぬまで拭えない
ある土曜の夜のこと。自宅のベッド付きのオフィス兼スタジオで悶々と考えている自分がいた。
これから叶えたい夢は割と明確なのに、自分にはその才能が備わっていないのではないか、自分の努力はムダになってしまうのではないかと不安を感じてしまい、動けなくなっていた。
自分の可能性や能力を疑ってしまうことは、どんなに成功しても有名になっても逃げられない現象らしい。あんなに成功してるレディー・ガガでさえ、精神的不安定に陥ることがあるのをNetflixのドキュメンタリーで目の当たりにして驚いた。
もちろん、ある程度成功や経験を重ねれば不安の波に揉まれる時間は減り、自力で本来のポジティブな状態に素早く戻れるようになっていくものだが、自分の能力への不安や不信は死ぬまでつきまとうものだ(死んだことないからその後のことは分からないけどね)と、私が尊敬するマリー・フォーリオも言っていた。(マリー・フォーリオはアメリカで成功しているオンライン起業家)
英語でいうself-doubt、つまり「自分の能力や可能性を疑ってしまうクセ」は人間が生きている限りつきまとう、世界共通の感覚なのだ。
苦しみとは、自分の理想と現実を比べること
土曜の夜にわたしを襲った不信感は、言うまでもなく心地よいものではなかった。
人間悲しいもので、ある程度の成功体験を積み重ねてきても、新たな挑戦となるとひるんでしまうもののようだ。「これまでもいろいろ成し遂げてきたじゃない」と自分に優しく元気づける言葉をかけてみても、もう一人の自分が「でも今度の挑戦はこれまでのものとは違う」と厳しくたたみかけてくる。
苦しみとは自分の理想と現実を比べることだと、ある本で読んだ。
確かにその通りだ。日々不満ばかり言っている人は、自分の理想と現実のギャップから受ける苦しみが辛くて不満の言葉が口から出てくるのだ。その痛みに逆らおうとすればするほど、苦しみは大きくなっていく。
わたしを救ったのは意外な言葉だった
そんな言葉を考えながらベッドに横になってゴロゴロしつつ、自分の「今」にフォーカスしてみた。理想と現実のギャップに苦しんでいる自分、そしてそんな自分を静かに見つめている自分。自分だけが自由に使える静かな部屋で、脳みそを稼働させている自分。
そんな自分に声をかけてみた。
苦しいね、つらいね。
その瞬間、「今」の自分を取り囲んでいるものがものすごいスピードで頭に浮かんできた。自分が今存在する静かな部屋、その外には、もっと広い住居スペースがあって、そこに自分のことを愛してくれている家族の存在があること、家の外にはもっと広いスペースがあって、たくさんの人たちが同じように苦しみもがきながら日々生活していること・・・。
その瞬間、わたしの頭の中に浮かんだ一言は、どういうわけか「感謝」だった。
この「感謝」という言葉が浮かんだとき、それまでの不安や不信感がすぅっと消えていった。わたしの心にふと浮かんだ「感謝」は、今自分が幸いにも新しいことに挑戦できる状態に置かれていることに対するものだった。これまで積み上げてきたいろいろや偶然で手に入れたいろいろのおかげで、今の自分がある。
不安や不信感の波に囚われていた自分に欠けていたものは、ただ一つ、感謝の気持ちだった。
生きている限り、これからも自分が信じられずに苦しむことはあると思う。それでも経験や成功を重ねるたびに、そして今の自分を見つめる勇気を忘れない限り、きっとまた自分への優しさと感謝の気持ちとともに次の一歩が踏み出せるような気がしている。