キンドル端末見つかりました・・・汗
1ヶ月ほど自宅内で行方不明になっていた
キンドル君が無事見つかり(家族が見つけてくれた)
読書生活を再開しました。
キンドル行方不明中に
チェックリストに入れていた一冊を手にとったところ
あっという間に読んでしまいました。
人生、60歳まではリハーサル
世界に誇る日本のラテンバンド、オルケスタデラルス(以後「デラルス」)の
ボーカリストのNORAさんの初の著書。
そもそもサルサって?
- サルサとは、1970年代までにニューヨークで生まれたダンス音楽。音のルーツはキューバにあり、現地の音楽であるソンやマンボが移民と共にニューヨークに渡り、ニューヨーク在住のプエルトリカンたちが、ジャズやソウルなどの要素を取り入れて誕生したものだ。
- たくさんのスパイスが入っているサルサソースのように美味しい音楽という意味で「サルサ」と名付けられたという説もある。
- もともとキューバ音楽はアフリカとヨーロッパの音楽がミックスして生まれたものだし、世界の様々な文化が混じり合って生まれた音楽。
- ”ヨコ8の字の無限大”みたいな独特なリズムで、聴いていると自然に体が揺れてくる!
- サルサには「クラーベ」という独特のリズムパターンがあって、”カッ、カッ、カッ、ン、カッ、カッ”と、3と2に分かれる”スリー・ツー”、また逆の”ツー・スリー”というのが基本パターン。
- アフリカの太鼓のリズムがルーツなので、なんとなく”血が騒ぐ”感じ。でもただ激しく情熱的なだけじゃない。
- ピアノのリフレインにも特有のパターンがあって、(中略)音楽のノリとしては盛り上がっているけど、センチメンタル。熱くなるだけじゃない、その組み合わせが絶妙。男性に例えれば、外見はクールなイケメンなのに、甘え上手だったりする意外性にぐっとくる感じだ。
- ベースのフレーズも特徴的で、(中略)ボーカルも、女性シンガーなのに男性的な声だったり、その逆だったり、ユニセックスな感じ(中略)。表面的には、楽しくて元気でカリブの海の香りや太陽のイメージがあるが、知れば知るほど奥が深い(中略)。
- 「サルサの多幸感」サルサは幸せな感情を押し上げてくれる音楽。
ラティーノ・ラテン美学
- 人間だから喜怒哀楽があって当たり前。それを行動で表現するのがラティーノなのだ。言いたいことを言って発散しているから、心にストレスを溜め込まない。ときに他人の目を気にしながら生きている私たちには、そんな情熱的な生き方がなんとも羨ましく感じた。
- 「小さなことを気にしなければ、大きなことも気にならない」
- 結婚して自分の家庭を持っても、家族ぐるみでお母さんを立てるのが普通のこと。母親を前に「うちのお母さんの料理は天下一品だ。こんなに料理のうまい女性はいない!」なんて、さらりと言う。ベタベタしたマザコンというわけではなく、みんな純粋にお母さんが大好き。そんな姿を羨ましく感じていた。
- ラテン諸国は、日本ほど経済的に恵まれてはいない。貧富の差もあり、困難なことが多いが、そんな中でも、彼らは本当にポジティブだ。今の日本には物理的な困難さはさほどないが、逆に精神的な問題を抱えた人が増えている気がする。
- 発達した文明があるに越したことはないけど、いざなくなった時に何ができるか。今の幸せな日本しか知らないままだと、落差を受け入れられないかもしれない。だからいろいろなものを見て知って、たくましくなれるのは幸せなことだと思う。
- 脳科学者の中野信子氏によると、ラテンの人は脳内の快感物質であるセロトニンが日本人より多いそうだ。明るくて精神が安定しているのはそのせいらしい。ラテン音楽は、そういう人たちが奏でるから聴くと元気になるのだろう。
- 日本だって、大人が楽しくなければ国全体が楽しくなくなってしまう。(中略)日本人に不安遺伝子が多いのは、災害が多い国だからという説がある。何かあってからでは遅いので、備えあれば憂いなしの精神を持っているのは大切なこと。ただ、せっかく長生きするなら、その不安を7割から5割に減らしてもいいんじゃなかろうか。一年中ラテン化している必要はないし、たまに歌を聴いたりライブに行ったり、余裕があればラテン諸国を旅したりして、多幸感をもっと味わってくれたらなと思う。
「夢を叶える」
- 誰かがスポンサーになってお金を出してくれるのを最後まで期待したが、今ではそうならなくて逆に良かったと思う。きっと誰にでも、どこかに自分の未来を切り開くための見えない「扉」があって、それは他の誰かに開けてもらうのではなく、自分でもがいて探して、自分で開ける。それができたら、その「扉」の先に進むべき道が続いている気がするのだ。自腹でニューヨークに行くことは、正直めちゃくちゃ不安だったし、かなりの勇気が必要だった。しかし誰にも頼らず(渡航費が足りないメンバーは親に借金したけど)、自分たちでその「扉」を開けたからこそ、道が開けたんじゃないかと思う。もしウケなくて失敗しても、私たちには何も失うものがなかった。後悔だけはしたくない。それで思いっ切りライブができたんだと思う。
- 「NORA、人間はいつどうなるかわからない。君は1回売れて名声を得て、初めてのソロにワクワクして余裕でこのレコーディングに取り組んでいるかもしれないけど、決してこれは遊びじゃない。もっとハングリーに、この作品がNORAの最後の作品だと思ってやってくれ!」(名プロデューサーセルジオ・ジョージの言葉)「もっと心の底から歌え!カタチじゃないんだ。もっと、ソウル(魂)をありのままさらけ出して歌え!」(中略)すると、体の奥底から魂の叫びのような声が出てきて・・・喉から体全体が裏返るみたいな感覚になった。歌っていくうちに自分の可能性がどんどん広がっていくような、不思議な体験だった。その後のライブでも、たまにその感覚に陥る瞬間がある。1回1回、ギリギリのハングリーな気持ちで歌う喜びを、セルジオが教えてくれた。
- (「日本ラテン化計画」名誉会長)タモリさんを見ていると、趣味や遊びも、やる人が真剣ならこんなに人を動かすことができるのだと気付かされる。
- 悩むときは悩めばいい。自分の経験もあるが、悩んだ人ほど本物のポジティブになれると私は思っている。
- 人間の真価が問われるのは絶頂の時よりも落ちたときだ。そのときの過ごし方によって人は大きく変わるはず。人生は山あり谷あり。年齢のことだけでなく、誰だって谷に陥ることはある。でも、自分から好んで谷に落ちたい人はいない。何をやってもうまくいかず、「もしかして谷?」と思っても、「いやいや自分は谷じゃない」と否定して似てたくなってしまう。私も若い頃は否定して放置したことが何度もある。それでもどうしてもうまくいかないとき、どういう心持ちでいたらいいのだろう?今になって思うのは、そういうときこそ、忙しかったときにできなかった感謝をすることだと思う。
- 20歳から50歳までの、ほとんどの人が人生で一番いろいろな出来事がある30年と、50歳から80歳までの30年間は同じだけある。無意識のうちに添いこに気づかないようにしているのは、人生の後半は落ちていくだけというネガティブなイメージに操られているせいだと思う。そんなことで怖がらないで、もっとワクワクしていい。
- ヒット曲は無理して作るものではなく、使命がある人のもとに降りてくるものだとも思っている。私たちに使命があるのなら、デラルスのもとに素敵な曲が降りてきますように。神様にお願いしている最中だ。
- 日々願っている夢は”いい歌い手”になること。たった1人でもいい。「NORAの歌を聴いて人生が開けた」と言ってもらえるような。誰かの人生を変えるようなインパクトを音楽で与えたい。
- 私だってプロだから、常に最高のパフォーマンスを届けたい。ちゃんと準備して臨みたいので、その時間を与えられないのが最初はすごくストレスだった。いきなりやれと言われたってでいるわけがない、マイクだけでモニターがなければ自分の声が聞こえない。でもそんなことが続くうちに、出演して歌えただけでよしとしよう、生きて帰ってこれただけでよしとしようと思うようになった。