Yo No Me Llamo Ruben Blades.
My Name Is Not Ruben Blades.
わたしの名はルベン・ブラデスではない。
サンディエゴラテン映画祭2019に行ってきました!
3月15日土曜日。毎年開催されているサンディエゴラテンフィルムフェスティバルに、サルサ大御所歌手ルベン・ブラデス(Ruben Blades)のドキュメンタリー映画が上映されたので行ってきました。
ラテンフィルムフェスティバルの存在は知っていたものの、実際に映画を観に行ったのは初めて。事前にオンラインでチケット購入して向かいました。
この映画の存在と映画祭での上映を知ったのはフェイスブック。プロファイルをもとに情報をお勧めしてくれること、決して嫌いではない。ちなみに同作品のフェイスブックページはこちら。
ルベン・ブラデスのことを知ったのは、数年前。わたしが運営しているマークアンソニージャパンのブログ。ビルボードオンラインにマークの記事が掲載されたらそれを日本語で紹介していたんですが、そこでよく彼の名前が出てきてました。彼の所属していたファニアレコード(今はなき、サルサ専門レコードレーベル)の名前とともによく出てきてたかな。
今回の映画は同映画祭の会場の一つとなっているFashion Valley AMCでした。
Yo No Me Llamo Ruben Bladesトレーラー
トレーラー➀ 英語字幕ついてて分かりやすいバージョン
トレーラー➁ スペイン語の字幕なしのオリジナルバージョン
番外編 ルベン・ブラデスについての57分の動画。高品質。スペイン語、字幕なし。
Yo No Me Llamo Ruben Blades サマリー
以下、IMBdで紹介されている本作品のサマリーを意訳。
ラテンアメリカのアイコン、ルベン・ブラデスは70年代のニューヨークサルサ革命の中心にいた。彼の社会的メッセージの込められた歌詞や爆発的なリズムはサルサ音楽を世界に届けた。ブラデスはグラミー賞17回受賞、ハリウッドでの俳優業、ハーバードロースクール卒で、さらには故郷パナマの大統領選にも出馬した。彼はニューヨーク在住。本作品では彼のニューヨークでの生活と、ツアー中の様子をカメラで追う。ディレクターは敏腕で知られるアブネル・ベナイムで、ルベンの50年のキャリアを紹介しながらも、音楽や政治面でのさらなる野望を垣間見せてくれる。現存する伝説のスターを賞賛するとともに、彼の実績への努力をカバーした作品。
それからこちらのサイトに紹介されていたサマリーは
文化を定義する音楽と17個のグラミー賞– ルベン・ブラデスは現代のラテンアメリカの音楽アーティストとしての確固たる地位を勝ち取った。「サルサ界のボブ・ディラン」であるブラデスは、知的な分析のもとに生まれた社会的なメッセージを乗せて、サルサ音楽を世界に広めた。彼の最後のツアーを追いながら、生きた伝説であるルベンは止まる意思のないことが露わになった。歌手、作詞家、活動家、俳優、人道家、政治家、そして大統領候補– ルベン・ブラデスはこれら全てであり、それ以上である。
Apatura Filmsと監督Abner Benaimについて
彼らのウェブサイト参照すべし。パナマを拠点としたドキュメンタリーを得意とする監督。受賞作品多し。
Yo No Me Llamo Ruben Bladesを通じて感じたこと、学んだこと
- ルベンはパナマ出身、25歳でNYに来た、いわゆるadult immigrant。わたしと一緒じゃん、って。
- サルサのもう一つの魅力を知ることができた。ルベン・ブラデス(とウィリー・コロン)の曲は社会的メッセージが込められた歌だった。「こんな時代だからこそ、歌手は本当のことを歌わないといけない」というStingのコメントもいい。
- 部屋に自分の好きなマンガとかサルサ関係の写真とか、好きなものを収集していて、その部屋にいるときは10歳とか15歳に戻れると話していた。
- 老舗のサルサレーベルのファニアレコードに電話して、「何か仕事はないか、何かあるでしょう?」と聞いて、メール仕分けの仕事をしながら、歌を歌ったり詞を書いたりして過ごして、その後音楽キャリアをスタートさせるチャンスを得た。
- パナマ運河の歴史。パナマ運河建設とともにそのエリアはアメリカの所有地となった。パナマ運河がパナマに返還されたのは1999年。70年代には死者も出る出来事が起こっていた。沖縄の米軍基地を思い出させる内容。サンディエゴのバルボアパークは1915-16年開催のパナマ運河竣工を祝うエキスポ跡地なのだから興味深い。
- ルベンブラデスがサルサでラテンアメリカを一つにした。
- ルベンはHector Lavoeのライバルだった。だけど彼が早く亡くなったときは残念に思った。
- ファニアレコードは自分たちの音楽を世に広めていいことをしたけれど、同時に自分たちを搾取した。法廷で別件で2度戦った。時間とお金はかかったが、自分の音楽を無事取り戻した。
- (おそらくAndy Montanezが言っていた)シンガーは引退しても一生シンガー。公の場で歌うことはなくなっても、シンガーであり続けるのだ。
- アメリカ人の観客もけっこう観にきていたけど、彼らはこの英語を見てどう思ったんだろう。
DVDが欲しいと思っているのだけど、映画祭で紹介される作品ってDVD化しないんだろうなぁ。。