サンディエゴ観光局時代 |
観光マーケティングの仕事について7年、日々の仕事を楽しみながら奮闘しつつも、新たな挑戦を求めていました。
仕事に疲れたときに思い出す場所は、大学時代に留学した米国サンディエゴでした。
「日本で知られているアメリカと、実際のアメリカのギャップが大きすぎる」と感じていたこと(これは今も感じています)、アメリカで学んで日本に還元できそうな概念がたくさんあると感じること、そしてサンディエゴはいいところなのに日本では知られていなくて残念だという気持ちから、アメリカに滞在して、サンディエゴ観光局に勤めて、日本をPRしたいと思うようになりました。
業界での経験は十分だと自信を持てるようになったことを契機に、アメリカに渡る決意をしました。
自治体Gの看板を背負っていたので、退職のご報告をしたときには驚かれましたが、頑張ってきなさいと背中を押していただきました。
お世話になった方たちが開いてくれた歓送会には90名ものの人たちが集まってくださり、感動しました。
退職後、カリフォルニア大学サンディエゴ校に在籍し、ビジネスマーケティングと最新鋭のマーケティングを学びました。
在学中に友人に紹介されて一緒に住むようになったルームメイトLが、偶然にもサンディエゴ観光局の社長秘書であることが分かり、兼ねてからインターンから経験したいと思っていたので、インターンができるよう協力をお願いしました。
ルームメイトLは、観光局の海外マーケティング部署のディレクターを家に招待してくれました。わたしはカレーを作っておもてなしして、インターンがしたいことを伝えました。結果、幸運なことに同じ部署でインターンとして働かせてもらえることになりました。
アメリカは日本以上にコネクションが大事な社会であると聞いていたことを実感した瞬間でした。
インターン先でもよい出会いに恵まれました。日本で働いたことがあるというマーケティング部署の同僚Sです。彼女にこれまでの自分の7年間の経歴を説明して、新聞記事などを見せたところ、「副社長に直談判したほうがいい」と言ってもらえました。
同僚Sがアレンジしてくれて副社長から30分時間をもらい、プレゼンする機会をもらいました。この日のために、毎晩遅くまで研究や準備を重ねて準備しました。
当日、お気に入りのスーツを着て付記社長の前でプレゼンをして、日本から持ってきた新聞記事などの実績の分かる資料、業界の人たちの名刺ファイルのすべてをお見せしました。わたしの経験と知恵のすべてを出しました。
このときのことを思い出すと、今でも胸が熱くなります。これがわたしの青春のハイライトと言っても言い過ぎではないかもしれません。
副社長は興味を持ってくれたものの、当時はサンディエゴから日本への直行便もなかった時代。「残念ながらアジアだけにかける十分な予算がない」との回答でした。